17世紀、キリスト教が禁じられた日本で棄教したとされる
師の真相を確かめるため、日本を目指す若き宣教師のロドリゴとガルペの話
2人は旅の途中で出会ったキチジローという日本人に案内してもらい
長崎へとたどり着き、厳しい弾圧を受けながら自分たちの信仰心と向き合っていきます。
キリスト教の教えに従い行動するも、布教すればするほど弾圧され、
苦難が増えるばかりか、周りの人をも苦しめていく現実がありました。
そしてギリギリの心理状態の中で、神とつながり、幻覚のなか
心の奥底で聞いたのは
「踏むがいい、私はお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、
お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ。」
「私は沈黙していたのではない。一緒に苦しんでいたのだ」
という神の言葉
心の平安は自分の外側にあるのではない。
心の奥底に潜り込んだ静寂の中にこそあるのだと感じました。
キリスト教であろうと、仏教であろうと、ロドリゴや長崎の百姓たちのように
自分の外側に明確な形として神を見出そうとすると、
神は「沈黙」し、その神への思いは裏切られます。
じっと心を澄ませて、自分の中を見ることで、神を感じれるようになる。
神は「沈黙」の中にこそ宿る。
神が常に自らと共にあるのだと感じることができれば
それこそが神でなのです。
精神的に追い詰められた状態の中で、ロドリゴが絵を踏むことができたのは
神は常に共に自分の側に寄り添ってくれている
そんな安堵感を感じたからこそだと感じました。