「表情筋トレーニングでリフトアップ」「顔ヨガを鍛える」──そんな言葉をよく耳にします。
けれども、“表情を作る”ことそのものが、脳と心拍・呼吸のバランスを乱すことがあるというのはあまり知られていません。
顔は“身体の末端”ではなく、“心と脳の出口”のような場所。
だからこそ、見た目の筋肉運動として扱う前に、感情・神経・呼吸との関係を理解しておく必要があります。

心理学の世界には「顔フィードバック仮説」という有名な理論があります。
人は感情が表情を作るだけでなく、表情が感情を作るという相互関係がある、という考え方です。
つまり、
笑顔を作ると「楽しい」と感じやすくなり、
眉間にシワを寄せると「不安・怒り・緊張」が強まりやすい。
この理論だけを切り取れば、顔ヨガも「笑顔を作ってポジティブになろう」と解釈できます。
しかし、ここに落とし穴があります。
実際の感情と一致しない作り笑いや無理な表情を繰り返すと、脳はそのギャップに混乱します。
本来の「感情 → 表情 → 呼吸 → 心拍」という自然な流れが
「表情 → 感情」へと逆流し、神経系が誤作動を起こすことがあるのです。
① 自律神経のアンバランス
顔には副交感神経(リラックス)と関係の深い三叉神経、そして交感神経の経路が集中しています。
強く動かしたり、緊張を伴う動きを繰り返すと、交感神経が優位になり、
心拍数上昇・浅い呼吸・血圧上昇といった「緊張状態」を引き起こします。
美しく見せようとする行為が、実は身体を戦闘モードにしてしまうことも少なくありません。
② 情動と身体感覚の分離
顔を意図的に動かすと、今の感情と出ている表情の整合性が失われます。
この不一致が続くと、脳の島皮質や前頭前野が混乱し、
「自分の感情がわからない」「気づけば無表情」という状態に。
これは、ストレス性の情動麻痺(アレキシサイミア)に近い反応です。
③ 頭蓋と呼吸リズムの乱れ
顔面の筋肉は頭蓋骨や顎、首の筋群と密接につながっています。
無理な笑顔や目の開閉を繰り返すと、頭蓋の微細な動きが阻害され、
呼吸リズムや脳脊髄液の流れにも影響を与えます。
顔を固める=脳の呼吸を止めることにもなりかねません。
顔の筋肉は「心の鏡」です。
無理に動かすより、内側が穏やかである方が自然に柔らかくなります。
人間の心拍・呼吸・表情は、脳幹にある迷走神経によって連動しています。
迷走神経は“安全”を感じるときに働き、顔や喉、胸の筋肉をゆるめます。
その状態で初めて、「穏やかに笑う」「自然な声が出る」「目が優しく開く」という
本物の表情が生まれるのです。
つまり、表情を変えようとするのではなく、
呼吸と心拍を整えて「安全」を脳に伝えることが先なのです。

ここでおすすめしたいのが「ボックス呼吸」。
海軍特殊部隊(Navy SEALs)でも採用されるほど、
ストレス下で心拍と集中力を保つための呼吸法として知られています。
ボックス呼吸のポイントは「止める時間」。
吸う・吐くだけでなく、間を取ることで脳が静まり、
感情・表情・身体がひとつのリズムに戻っていきます。
リフトアップしたいとき、ほうれい線が気になるとき──。
まずやるべきは「顔を動かす」ことではなく、「呼吸を整えて、心拍を安定させる」こと。
呼吸が整うと、表情筋の緊張と弛緩のバランスが自然に整います。
呼吸に合わせて顔の内圧が微妙に変化し、血流・リンパの流れもスムーズになります。
これこそが“顔を整える”最も安全で持続的な方法です。
身体は部分ではなく、ひとつながりのシステムです。
顔の動きは、骨盤・呼吸・足の安定にまで影響を及ぼします。
例えば、顎を引く角度がわずかに変わるだけで、横隔膜の動きや姿勢制御が変わる。
それほど“顔”は全身の中で繊細なパーツなのです。
だからこそ、顔を「鍛える」ではなく、全身の調和の中で整えるという視点が大切です。
表情筋トレーニングそのものを否定するわけではありません。
ただ、「表情を作れば綺麗になる」ではなく、「呼吸が整えば表情も整う」という順序を大切にしてほしいのです。
感情を無理にコントロールする必要はありません。
ボックス呼吸で安心のサインを脳に送り、
その上で生まれる自然な表情こそが、本当の「美しさ」であり「安定」です。
顔を変えたいなら、まず呼吸を変える。
呼吸が変われば、心拍が変わり、脳が安定し、
そして、穏やかな表情が内側から生まれます。
それが「表情筋トレーニングをしない方がいい」本当の理由です。